A shot of sweet romance:ア・ショト・オブ・スウィート・ロマンス〜禁酒法時代のバーボン  
 

1919年から1930年代前半まで米国で施行されていた、いわゆる「禁酒法」。米国の歴史に詳しくない人も、酒を飲まない人も、アル・カポネが密造酒で儲けた時代と言えばわかる筈だ。この間、米国ではアルコール分0.5パーセント以上の飲み物が禁止されたが、法の目を潜り酒は密造され、不法な酒場も存在したという。そんな禁酒法時代に蒸留されたバーボンが、その深みのある味と、時代背景が与える珍しさも手伝い、一部のバーボンファンには垂涎のボトルとなっているという。

「ウチも禁酒法時代のバーボンを置いています。これらがそうですが、味がまろやかであるとか、深みが強いといって、好まれる方は結構いらっしゃいますね」と語るのは、銀座でバーボン専門のバー「ShotBar BOURBON」を経営する、奥野恭一氏。2007年に銀座に移る前は横浜の上大岡で営業していた。そのころからバーボン・マニアには有名な店で、禁酒法時代に造られた多くのボトルを含め、珍しい銘柄のボトルを数百本常備しているという。

「最初から禁酒法時代に造られたボトルを飲まれても違いが良く分からないでしょうから、まずはこの3つを飲み比べましょうか。日本でポピュラーなIWハーパーの最近のもの、20年前のもの、そして40年位前のものです。どれもアルコール度数は同じですが、違いが分かりますか?好みには差があると思います。まろやかな味が好きな人もいれば、多い強いパンチのある感じが好きという方も多いです。一般的には、昔のボトルの方が深みと甘みが強い傾向があるようですね」

禁酒法時代のボトルはオークションで競り落とすのが一般的のようだ。YahooやeBayでも出品されるときがあり、バーボン専門のオークションサイトというのも米国にはあるようだ。但し、これらのオンラインサイトで競り落としたものは、手元に来て封を切るまで、実際に飲めるような中身の状態がどうか分からない。言ってみればくじを引くようなものである。ボトルにより価格に差はあるが、大体米国では一本5万円程度、日本ではもう少しする。また、米国では酒屋の奥にたまたま古いボトルが残っていたとか、祖父母の家にあった、などというのもそれ程珍しくは無いようだ。ただ、当然存在しているボトルの数が増えることがないので、その数は時と共に減っていることだけは間違いがない。

日本でも昔からある酒屋で、偶然古いボトルが見つかることが、稀だがあるという。もしそんなボトルを偶然手にするような機会があったとき、どのように見分ければ良いのか?いくつか方法がある。簡単な方法の1つが、容量表記の単位。奥野氏によると、法律が変更になる1978年までは、Quart(クゥオート)とか、Gallon(ガロン)などといった表記であったが、1979年以降は、ML(ミリリットル)になっているという。また、瓶の蓋に紙のシールが張ってあるかどうかでも簡単に分かる。「紙ラベルがあれば、1980年より前のものです。それ以前はバーボンの瓶は全て政府の管理下に入っており、1瓶1瓶全て連番が与えられて管理されていました。昔は蒸留所のドアには鍵が2つあり、1つは蒸留所が、もう1つは政府の役人が管理していたそうです。蒸留所の入り口には小屋があり、そこに政府の役人が常駐していた、という話です」と奥野氏は語る。

奥野氏によると、バーボンは2000年前後を境に随分と変わったという。その原因はフィルター。昔のボトルを光に透かしてみると、雑身で濁っている。「基本的にバーボンは、水とコーンや穀類から出来ていて、不純物を入れていませんので、年が経ったからと言って変わりようがありません。ところが、僅かに入っているこの雑身が年を追うにつれ、甘みやまろやかさになると思うのです。従って、先程出した40年前のバーボンはまろやかになっていますし、禁酒法の最中のボトル、例えばこの1933年のバーボンはもっと甘い場合があります」

ところが、1990年代に日本で起こったバーボンブームがこれを変えたという。日本人は見た目の綺麗さや完成度の高さに非常にこだわる為、ケンタッキー州の蒸留所がフィルターを非常に高性能なものにして、儲かる日本市場に向けて、雑身のない、きれいなバーボンを造ったと言われている。結果、最近のボトルを見てみると、確かに非常に透き通っており、日本人好みのとても綺麗な外見になっている。

余談になるが、日本のバーボンブームは、いくついかの蒸留所の存続にも貢献したと言われている。全米のバーボン生産量の90%以上がケンタッキー州で生産され、多くの蒸留所は同州北部のブルーグラス地方(Bluegrass region)に存在する。残りのバーボンは、様々な州、例えばミネソタ、フロリダ、カリフォルニア、バージニア、ミズーリなどで生産されている。現在ケンタッキー州には10前後の蒸留所があるが、禁酒法時代から残っているのは、ワイルドターキー(実際には昔からある蒸留所をターキーが買った)、シーグラムに買われたフォアローゼズ、など数箇所。そして日本のバーボンブームがなければ、蒸留所はもっと減っていたと言われている。

 


Photos by Urban Heritage Chronicle


ShorBar Bourbonにある
禁酒法時代のバーボン
甘く、深みのある味がする


1970年以前のボトルは瓶の口に
シールが 施されている


Shorbar Bourbonにある
ボトルの中でも最古の部類に入るもの

 

 
 

ところで、ケンタッキーで作られたものをバーボンと呼ぶ、とよく耳にすることがあるが、そうでは無いようだ。確かにバーボンと呼ぶための基準があるが(例えば、51%以上80%未満のトウモロコシを原料に使う等(注))、ケンタッキー州でなければならないという制約は無い。但し、ラベルに「Kentucky Straight Bourbon」と表記するにはケンタッキー州で造っていなければならない。

(注)バーボンの基準に関し本記事ではこれ以上触れないが、インターネットで検索すれば比較的容易に調べられる

ブルーグラス地方がバーボン生産に良いとされる理由は、ライムストーン(石灰)から成る岩盤だと言われる。ケンタッキー州は昔、クラスタシアン(甲殻類)が多数住む温暖な海の浅瀬であったという。それが蒸発して陸地になり、クラスタシアンが堆積し化石化して、ライムストーンになった。ケンタッキーは化石が良く発見されるそうで、化石は3から5億年程度前のものと言われている。このライムストーンは良質のミネラルを含み、そこから湧き出る水がバーボンを造るのに最適なのである。

話を禁酒法のボトルに戻そう。バーボンは奥野氏がいう雑身による変化もさることながら、時代背景が製作過程に反映しているため、作られた時代も味を左右している。

「バーボン含め、ウィスキーというものは基本的にボトルの中で変化することがありません。禁酒法時代のバーボンを好む人がいるのは、禁酒法時代のバーボンとライ麦(注)が今のものと違うからだと思います。ボトルの中で80年以上過ごした中で変化したというよりも、当時の材料や作り方自体が違っていたのです」と語るのは、米国シカゴ在住のバーボン専門家で、関連の著書も多い、チャールズ K. コーデリーCowdery氏。

(注)バーボンは51%以上80%未満のトウモロコシ(80%以上のトウモロコシを含むものは「コーンウイスキー」と呼ばれる)にライ麦・小麦・大麦などをまぜたものを主原料とする。

「禁酒法時代は現在より低いプルーフ(注1)で蒸留され、そしてバレル(注2)に入れるときも低いプルーフで入れられていました。現在では、蒸留時おおよそ70〜80ABV(alcohol-by-volume)で、バレルに入れる際は57.5から62.5ABVです。ところが、当時は蒸留時もバレルに入れる際も、50ABVに近いプルーフでした。低いプルーフで蒸留、樽入れするということは、最終的なスピリットになる際に、より穀類や酵母のフレーバーがつくことになります。このため、当時のウィスキーは強いボディとフレーバーがあり、最近のものはボディもフレーバーも軽い、と良く言われるのです」

(注1)アルコールの強さを示す単位。100 Proof(プルーフ)でアルコール度数50%(もしくは50ABV)。蒸留所でハイドロメーター(比重計)が一般的で無かった頃、「ガンパウダー(火薬)・プルーフ」という方法が存在した。これは、バーボンと火薬を同じ割合で小さな耐火性容器に入れ点火し、炎が黄色なら酒が強すぎて、青ならプルーフが正しいとしていた。イエロー・プルーフの酒は青くなるまで水を入れた。青い炎の酒のプルーフを100、もしくはアルコール度数50%とした。

(注2)内側を焼き焦がしたホワイトオークの新樽

「そしてもう一つの理由として、禁酒法時代にボトリングされたウィスキーは、あまり適切に扱われていなかったことが挙げられます。現在入手できる禁酒法時代のボトルの多くは、その後期にボトリングされたもので、ウィスキーは標準よりオーバーエイジのものでした。しかしそオーバーエイジから来る強い木のテイストを好むファンがいるのです」

昔は個性的で良いバーボンが多かったが、今は個性が無くなってきていると良く言われる。個性が無いこと自体個性であるとも考えられるので、それ程大きな問題では無いかもしれない。ただ、バーボンの場合はそう簡単に通り過ぎることはできない。昔のメーカーは採算度外視とまでは言わないにせよ、今ほど利潤を追求せず、手間隙をかけて造っていた。つまり、1本に掛ける情熱が違うというのだ。「今はどちらかというと、利益を追求志向になっていますよね。1本辺りの値段にも反映されています。普通のものであれば、現在店頭で1本2~3000円位と手軽な価格で購入できますが、昔は4~5000円はしましたよね」と奥野氏は語る。

きちんとした文書が残されている訳ではないが、バーボンの起源は1780年代にバーボン・カントリーのエライジャ・クレイグ(Elijah Craig)という牧師が最初に造ったとか、今でも人気ブランドとして残るエヴァン・ウィリアムス(Evan Williams)が最初に蒸留したなど、様々な説がある。またバーボンの名前は一般的にはフランスのブルボン王朝に由来していると言われている。いづれにせよ、米国は1776年に独立宣言を発表し、1783年にパリ条約が結ばれたのだから、バーボンの誕生はアメリカ合衆国の誕生とほぼ時を同じくする。

禁酒法時代のバーボンが美味しく感じられるのは、もちろんそのテイストも大きな理由の一つだろう。しかし、幾多の困難を生き残ったそのボトルの生命力も、その美味しさに貢献していることは間違いない。数億年前から育まれた水をもとに造られ、禁酒法を潜り抜け、80年後に太平洋を越えたバーで客に出される。そんな歴史のロマンがワン・ショットを甘くするのであろう。

(2009年12月22日掲載)

 
     
 
Copyright: Urban Heritage Chronicle. All Rights Reserved.
 
     

Copyright 2023 Urban Heritage Chronicle LLC. All rights reserved. 著作権、本サイトへのリンク、個人情報保護について