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天然理心流ー幕末を馳せた剣、今に生きる | ||||
数年前のテレビ番組を通じた新選組ブームで一躍注目された剣法、「天然理心流」。新選組の中心となる隊士達が習得し、有名な池田屋事件をはじめとする幕末の京都で起った事件や、日本各地であった戦いで活躍した剣法である。実戦本位の剣法で、実際に命のやり取りをする場面になると当時、滅法強かったと言われる剣法であるが、新選組の消滅と共にいっとき、時代に埋もれてしまった。 天然理心流は、1700年代の終りに、流祖である初代近藤内蔵之助が創始したと言われる。元々は剣術だけでなく、棒術や柔術など、武道全般を教えていたそうである。天然理心流の歴史を調べると、早世した2代宗家の近藤三助の後に、十数年間の宗家空白の時代がある。流祖の近藤内蔵之助は江戸のみならず近隣の農村でも指導したため、多くの門下生を持っており、2代宗家の三助も多摩地域や近隣で指導したため、天然理心流は広範囲に広がった。ところが三助は、指南免許や印可を与えずして突然この世を去ってしまい、天然理心流は、松崎氏、漆原氏、桑原氏などの多くの優れた門人に受継がれた。 3代宗家近藤周助は近藤家の血をひく人間ではなく、4代宗家の近藤勇も養子であるが、一般的には、近藤勇までは「宗家」としているようである。近藤勇は、門人で新選組の一番隊組長、沖田総司に天然理心流を引き継がせたいと手紙に書いたそうだが、勇の死から2ヶ月後に沖田も病死しているので、その時点で宗家は絶えてしまった。このような状況のため、天然理心流の伝系に関しては様々な議論があるようだ。ここでは歴史上の正当性や史料の真偽は一旦置き、現在を生きる天然理心流を取り上げる。 天然理心流創始者の教えを忠実に伝える〜心武館 毎週水曜日の夜、新宿区のとある体育館から威勢の良い掛声が聞こえる。中は木刀を真剣に振り下ろす門人で一杯だ。ここは天然理心流心武館。現在この東京道場をはじめ、昭島市の多摩道場、茨城県の牛久道場の3カ所で稽古が行われている。東京道場には様々な職業の老若男女が稽古に励む。「新宿区という場所と、平日の夜に行っていることもあり、ここは学生や女性の門人も多くいます。残念ながら、心武館は新選組とは、あまり関連がありません。私も新選組は好きですが、ここでは天然理心流の創始者の教えを守ることに徹しています」と語るのは、館長の大塚 篤氏。 ここ心武館は、天然理心流2代宗家近藤三助の弟子である松崎正作の門弟、井上才市則清が開いた道場で、代々井上家が伝承してきた。戦死した3代目の子息であり現当主の井上晋氏の義弟にあたる、現在の心武館4代目館長の大塚氏によると、心武館では忠実に引き継いだ流祖の教えを伝えることを重視している。 少々脱線するが、天然理心流が非常に優れた流派であることは間違いはない。近藤周助の弟子である新選組局長近藤勇の活躍は知られての通り。そして一方、桑原の流れを汲む門人からは「小野田東市が講武所剣術師範に採用されている事実がある(大塚氏)」ことは特筆すべき事である。小説の中のことで真偽は不明だが、近藤勇がこの幕府の講武所師範になれずに酷く悔しがった(身分の関係でなれなかったと言われている)のは、新選組の物語でよく語られている。 さて、大塚氏によると、流祖の教えの代表例はその指導方法にある。東京道場で初心者がまず教わるのは、(1)木刀、(2)陰橈、(3)試合口の3つに分かれる。(1)のテーマは「柄の事」で、しっかり木刀を振ること。(2)は「先の事」とも言い、剣先のコントロールがテーマ。剣先が生きるように修練する。そして(3)の「応の事」は機応であることがテーマ。(1)、(2)、(3)を合わせて「表」と呼ぶ。「この3つを始めその後の中級/上級までのプロセスを含め、順番や構造が非常に良くできています。流祖は教育者としての素養が極めて高かったと思います。それは流祖の教えの中に教育の考え方が多く示されていること、また技の指導構成が指導成果を考慮して構成されている事など、科学的な指導手法が構築されていることも大きな特徴と思います」と大塚氏は語る。ちなみに、上級になるとより実戦的な練習になり、模擬刀を使うこともある。それは、よりスピード感のある練習だ。「具体的には」と言った館長は、腰に差している木刀を抜き、目にも見えない早さで剣先を筆者の腰に突きつけ、「木刀だから手で守れましたが、実戦ではおしまいですよね」と語った。 時代劇の見過ぎかもしれないが、武道や武術と呼ばれるものには、極意書や秘伝書のようなものがあり、各流派の技術はその巻物により伝承されているようなイメージがある。「確かに、技を記した様な書き物はありますが、それだけで天然理心流の技が伝わるかというと、それは無理です。料理のレシピがあっても実際につくるのは違う。レシピだけで五つ星のシェフにはなれないのと一緒です。実際に一緒に長い間稽古を積む事で、技を体得できるのです」と大塚氏は語る。ちなみに、天然理心流として一人前になるにはどのくらいかかるのか?の問いには、「東京道場や牛久道場、多摩道場で、週一度の稽古だけなら20年。毎日稽古を積めば10年くらいでしょうか」との答えが返ってきた。 |
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Photos by Urban Heritage Chronicle
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心武館では、剣技はもとより、その心の伝承、つまり精神的な修行にも力を入れている。「自分不精にして對師御恨申間敷事」。流祖の時から変わらずに使われている「神文之事」。天然理心流に入門する際、その内容に対して誓い、署名する巻物である。この文章は、神文之事に記されている一節である。「神文之事には天然理心流の門人となるための最低限の心得が書いてあります。この中でも私が一番好きなのがこの言葉です。簡単に言うと、何があっても人の責任にするな、ということです。今の人は自分の不本意さを何でも人や環境、社会などのせいにする傾向がありますね。勿論全てが自分の責任であるとは言いませんが、まず最初に他人でなく、自分を見つめて欲しい」 大塚氏は続ける「神文之事には、他流と比較することも禁止されています。剣術や武術には、天然理心流以外にも、それこそ多くの非常に優れた流派があります。天然理心流も、その他の流派も流祖が心血を注いで開眼し、脈々と受け継がれ現在に至っています。それを安易に比較するなんて問題外です。そんなことよりも、稽古に励んで自分自身を高めることで、他は気にならなくなります」 初代の近藤内蔵之助が創始した天然理心流は、江戸期以前の剣術流派としては最も新しい流派の一つである。剣術も時代に合わせながら進化進歩をしているので、逆に先達のよい部分を集大成出来たことにより、完成度が高い剣術になった。またその特徴として、剣術、柔術、棒術、の3部門で構成された総合武術としてはじまり、付随するものとして居合、気合術、活法等があり、多彩な構成であることがあげられる。 天然理心流が出てくる小説の大多数は新選組に関連するもので、その中では流派の特徴として、前述の「突き」、「殺人剣」がよく出てくる。大塚氏は語る。「天然理心流は、突きも含め多様な技があり、突きだけが特徴というものではありません。三段突きに限らず多くの形に四段、五段・・・と連続的な技があります」。そして殺人剣に関しては、「日本の剣術、武術は、殺人技である剣術を活人剣(悪に打ち勝って確実に殺すのが殺人刀であって、その悪を殺したゆえに万人が救われ『活きる』のが活人剣と言われている)とした哲学として昇華し、発展したことが世界に例のない日本の精神的財産です。この精神は日本の全ての武術流派において受け継がれ育まれたものであり、天然理心流にもこの精神が流れています」 「事実として新選組が多くの人を斬ったことがありますが、それは不穏分子による治安悪化の改善を図るための戦闘行為であり、意味のない殺人とは全く異なるものであり、戦闘となればどの武術流派においても最善を尽くすのが武術の本分であるので、天然理心流を殺人剣とするのは風評です。事実、江戸期、明治期においては天然理心流が殺人剣であるとの風評は無かったと思いますし、私自身はそのような伝承や文献は確認していません」 天然理心流イコール殺人剣というイメージは、昭和期になってから、小説の世界や天然理心流を名乗りパフォーマンスを行う人達が、彼らの「売り」として、殺人剣、田舎剣術をアピールしたことが発端のようだ。「元々天然理心流の教えの中に、『剣を敬うのは古い時代からあり、旅の時は帯刀し、朝廷においては佩刀する、これは暴虐を防ぐためである』の教えがあります。これこそが、社会の平和と身の安全を守る神髄であり、活人剣たる思想です」と大塚氏は強調する。 どうしても聞きたかった質問をしてみた。「天然理心流の歴史の中で一番強かった剣士は?」 答えにくい質問に大塚氏が答えてくれた。「マンガチックな質問で正直困惑してしまいます。答えようがありませんが、あえて表現すれば、(1)天然理心流創成期では、流祖は当然のこととして別格ですが、それに次いで小幡万兵衛(流祖近藤内蔵之助の門人)と近藤三助。(2)江戸末期では、増田増六(2代宗家三助の門人といわれる)、小野田東市、近藤勇、沖田総司。(3)明治期では、井上才市(2代宗家近藤三助の弟子である松崎正作の門弟)等が時代を越えて卓越した剣士と思います」 「小野田東市と井上才市については、なぜと思う人も多いかと思いますが、小野田東市は徳川幕府が幕末に各流派の使い手を集めた幕府講武所剣術師範に天然理心流から只一人選ばれ採用された事実があること。井上才市は、明治以後、武道の盛んな多摩地域で三多摩随一の剣客と高く評価されていたこと。その証左の一つとして、中里介山発行の『隣人之友』第25号(昭和3年10月10日)に記載された記事の中で『理心流の剣術を伝えて三多摩一の剣客は府下西多摩郡東秋留の井上才市源則清先生である。邸内街道に面した一隅に今もなお心武館というささやかな道場を開き地方青年のために老体をいとわず剣を翳し道を論じ、いよいよ本領を発揮されている』との記載がありますので、明治以後は天然理心流の最も卓越した剣客と思います」 「また、違った意味で特筆すべき人は近藤勇と沖田総司でしょう。武道修行で到達する域においては、前記7名の先達は何れも最高の域に達しているものと思いますが、近藤勇と沖田総司は、多くの人を斬ったという事実があります。戦国時代の剣術修行の方法論として『斬り覚え』という教えがあったと思いますが、これは実際に戦って技量を向上させるというものであります。近藤勇らは実戦の経験を重ね、まさに『斬り覚え』の成果があったかも知れません」 今の世の中、木刀を持ち歩くこともないし、ましてや刀を使って実戦を行う機会はない。その中で、剣術や天然理心流を学ぶ意義は?100年後、200年後の天然理心流の姿は?「残る方法としては2つあると思います。1つ目は文化遺産の継承として残る。そして2つ目は護身術として残る。ただし残念ながら、護身術として天然理心流の価値は現在ではそれ程ありません。剣道も同様でしょう。むしろ柔道や合気道の方が護身術としては今の世の中に適していると思います。とはいっても、文化遺産として天然記念物的に残っているのでは、武道が残っている意味がありません。天然理心流が残る為には、武道として『生き生き』としていなければなりません。その為には何か付加価値が無ければならない。1つ確かなのは、日本の哲学、理念を伝えるものとして、天然理心流は将来的に価値のある思想があると思います。ただ難しいのは、理念というのは言葉で説明するのは不可能ではありませんが、本を読めば分かるというわけではなく、行動や稽古の中に理念を感じるのが武道です」 さらに大塚氏は続ける、「日本の武道は天然理心流も含めて、形も、精神も日本の宝であり後世に受け継いで行かなければ成らないものと思います。その為には、(1)日本の文化を学ぶ喜び、(2)精神の充実、(3)体育としての成果、(4)健康への貢献、(5)人格の形成に貢献出来ること、(6)充実した人生を送ることに貢献出来ること等、それぞれの時代に合った社会貢献が出来なければ成らないと思います」 ---------------------------------- 新選組の足跡を辿る〜撥雲会 近藤勇は結局、娘を残し、跡取りは残さなかった。勇の娘婿である宮川勇五郎は、残念ながら勇から天然理心流を学ぶ機会はなかったと思われる。また勇五郎は特に他の天然理心流の師範にも学ばなかったようだ。勇五郎は前妻(勇の娘、たま)と後妻との間にそれぞれ息子をもうけているが、残念ながら2人とも亡くなった。そのため、宗家の技だけでなく、新選組局長近藤勇の血は絶えてしまっている。 勇五郎は近藤家と天然理心流を守るため、明治以降、天然理心流の看板をあげ、撥雲館という竹刀を用いた剣道の道場を経営していたと言われる。平成17年に発足した天然理心流撥雲会は、新選組ゆかりの場所である東京都日野市を拠点に、勇五郎から直接指導を受けた8代目加藤伊助の形と技を元に、近藤勇と新選組の天然理心流を研究・復興することを目的としている。ここには、近藤勇の兄の子孫である宮川清蔵氏(近藤勇の旧姓は宮川)をはじめ、新選組の六番隊組長であった井上源三郎の子孫も稽古に訪れる。 「我々は新選組の流れを汲んだ天然理心流を伝える事を目的としています。従って私はじめ皆、新選組が大好きです。私だけでなく、様々な人の協力がなければ天然理心流を伝えることは難しいですね」と、撥雲会会長の荒川 治氏は語る。 天然理心流は元々、剣術だけでなく、棒術や柔術など、武道全般を教えていたそうである。「昭和になって8代目の加藤伊助先生の頃は、剣術から剣を捨てての組み討ちになることも多かったそうです。その為、小手は直ぐに脱げる様に緩く付け、いざ!という時には外して相手に組み付ける様にしておき、また胴は固く締め、後ろの紐をつかまれて首がしまらないようにしていたそうです」 天然理心流の特徴として、よく挙げられるのが、「突き」である。新選組を扱った小説の多くでもクローズアップされている。特に新選組随一の遣い手と言われた沖田総司の「三段突き」は有名である。荒川氏は語る、「あくまでも小説の世界から良く知られるようになりましたが、実際に三段突きが出来るかというと、出来るかもしれませんが、難しいかもしれませんね。仮に『やあ、やあ、やあ』と掛声をした場合、それでは遅いですよね。最初の『やあ』で3回突かないと間に合いません。また、『突きは死に太刀』とも言われています。一対一なら良いのですが、相手が複数いる場合、突きを心臓に入れてその相手を倒したとしても、剣を抜いている間に残りに斬られてしまうかも知れません。もし急所を外れた場合、相手が筋肉に力を入れたら剣は抜けなくなる可能性もあります。突きはリスクが高いのです。従って、余り突きは教えなかったと聞きます」 そして続ける、「ただし、京都の建物は非常に狭く天井も低かったので、振りかぶると刀が天井に当ってしまいます。その中で、新選組が突きを多用した可能性は大きいかもしれませんね。ちなみに、突くときは刀を横にして肋骨を貫通させて心臓を狙ったというのは、本当だと思います。当然私も実際に経験がある訳ではありませんので断言はできませんが、刀を縦にすると肋骨に引っかかります。ちなみに、有名な池田屋の戦いでは、新選組は鎖帷子で完全防御して望みました。相手はまったく準備をしていなかったので、新選組は勝って不思議はないと思いますよ」 天然理心流のもう一つの特徴として、新選組関連の小説の中でよく描かれているのが「気合い」である。これらの小説の中では、新選組隊士の大きな声にひるみ相手が竦んだところを倒す場面がしばしば見られる。撥雲会でも気合いを入れることは重視しており、入門してきた人には大きな声をだすように指導する。「最初は兎に角大声を出して木刀を降ることを教えています。大きな声は相手をひるませるだけでなく、自分自身にも力がみなぎりますね」と荒川氏は語る。 実践の話の延長で、小説や時代劇で見られる斬り方に話が及んだ。「勿論私も実際に人は斬った事はありません。但し、刀で物を斬るのは結構難しく、刃筋と太刀筋が合っていないとできないのです。袈裟で肩から腰まで一刀両断するのはなかなか難しいし、時代劇であるような町娘を帯ごと斬るなんて言うのも無理です。テレビなどで行っている峰打ち、いわゆる刀の背で相手を叩いて殺さず気絶させる技ですが、あんな技は滅多に使いません。刀の刃というのは非常に鋭利で、極端なことを言うと、軽く触ってちょっと引くだけで指がおちてしまいます。そんな鋭い刃を自分に向け、背を相手に向けるなどできません。万が一相手が跳ね返してきた場合、刃が自分に向かってきます。また時代劇でよく見られる、刃の峰で受けることも絶対にしなかったと思いますよ。刃を自分に向けるのは怖いですし、また刀は峰に衝撃を受けると反対側の刃に亀裂を生じやすいのです」 平和な世の中において、実際に戦闘で活躍した近藤勇の天然理心流を伝える意味はどこにあるのだろうか?「天然理心流はもとより、武道というものは自然に帰って行くといいますか、言い方が適切か分かりませんが、野生に帰って行くことにあると思います」と荒川氏は語る。 「私が思うに、昔の優れた剣士は殺気というものを本当に感じていたと思います。それは周囲に気を配り、あるいは逆に自然と一体になって回りに何が起こっているか、感じ取ることです。私が若い時、剣道の稽古で70歳を超えた先生と立ち合ったことがあります。当然こちらの方が力もスピードもあるので負ける訳が無いと思っていましたが、私が間合いを詰めて打とうとすると、知らないうちに私の小手に相手の竹刀が乗っていたのです。その先生は私の気を完全に読んでいました。最近、音楽を聴きながら歩いていた人が交通事故にあった、という話を耳にすることがありますが、これは周りに気を配っていれば起きない事故だと思います。武道で大切なのは、周りに気を遣うこと。この道場ではそれを伝えたいと思っています」と、荒川氏は強調する。 ---------------------------------- 日本の心である武道や天然理心流は、時代の変わり目に翻弄されてきた。維新後に賊軍扱いされた新選組の解散後、天然理心流がどのように扱われたかは想像に難くない。また第二次大戦の後には、日本で武道を行うことは禁止された。そして国際化が進む今、武道は世界中に普及し、柔道にせよ、剣道にせよ、近年海外の選手の活躍が目覚ましい。 日本の文化が海外の人に受け入れられるのは非常に喜ばしいことだが、こと武道に関しては、精神的な部分の修練も重要な為、まだハードルが高いようだ。海外の選手は特に勝ち負けにこだわり、武道でなく単なる競技になっている場合が多いと言われる。その善し悪しは議論が残るところであろうが、武道の心は「勝って奢らず、負けて潔し」である。天然理心流も例外でなく、全ての行動は礼に始まり礼に終わる。礼の意味は相手を敬うことにあり、「相手がいるから自分を磨き、高めることができる」のである。天然理心流は殺人剣でもなく、新選組ブームに乗っている剣法でもない。天然理心流を通じて、日本の心、武道の心が多くの人に長く伝わっていって欲しい。 【注:新選組の系譜に関して】 (2009年7月14日掲載、同年7月27日一部訂正) |
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