150年前、ワシントンDCに滞在した遣米使節団  
 

本サイトの別記事にも掲載している通り、日米修好通商条約の批准書を交換するため、遣米使節団一行は1860年の2月に江戸を出発。遣米使節団を乗せたポーハタン号はホノルルを経由して太平洋を横断、サンフランシスコを経由してパナマ運河を通り東海岸に到着した。その後、ニューヨーク、フィラデルフィアに滞在し、その後ワシントンDCに立ち寄った。

ワシントンDCではウィラード・ホテルに滞在した。遣米使節団一行はウィラード・ホテルにとって、はじめて受け入れた重要な客であった。左の写真は、再オープン20周年を記念して、2006年に同ホテル内で展示された歴史資料の中から、同ホテルの許可を得て掲載している。遣米使節団一行訪問の様子をスケッチしたものである。

オリジナルは、1859年2月18日に発行された新聞「The Daily National Intelligencer」紙に掲載されたもの(注:同新聞は現存しない)である。

同新聞は、日本の外交団に関して以下のように記述している。

The Embassy has eight tons of baggage, a large amout of treasure, and fifteen large boxes of presents for the president of the United States... They also bring with them about eighty thousand dollars in cash, with which to make purchases in this country. This money was brought from Japan in silver, and changed in San Francisco for American Gold.

「日本の外交団が持ち込んだ荷物は、カバンが8トン分、大量の財宝、そして米大統領への贈り物として大きな箱が15箱におよんだ。外交団はまた、米国で買い物をするために、約8万ドル(当時の貨幣価格)の現金を持っていた。この現金は、日本から持ち込んだ銀をサンフランシスコで米金貨に交換したものである」

首都ワシントンDCにある議会図書館(Library of Congress)にある資料によると、徳川幕府から米国に派遣された一行は、3人の大使、2人の皇族、12人の貴族、そして60人の従者の合計77人から構成されており、第1大使の新見備前神正興(First Ambassador Niimi Bizan-no-kami Masaoki,)、第2大使の村垣淡路神(Second Ambassador Muragaki Awaji-no-kami)、江戸の副知事森田岡太郎(Vice Governor of Yeddo Okataro Morita)などが含まれていた。

日本からの外交団の滞在中、米国人は日本からの訪問者を好奇心の目で見ていたという。日本人の行動は絵に描かれ、議会図書館に今でも保管されている。米国人にとって始めてのものは全て検査され、質問され、説明を要求され、そして絵に描かれ、「従者がウィラード・ホテルで荷物を紐解いていく図」、「部屋で急速を取っている絵」、「夕食」。などど説明がされている。

ウィラード・ホテルは様々な紆余曲折を経て、現在も同じ場所、米国会とホワイトハウスを結ぶ、ペンシルバニア・アベニュー(Pennsylvania Avenue)沿いに、ウィラード・インターコンチネンタル・ワシントン(Willard InterContinental Washington)として存在している。米国の政治家たちが通りを往復する姿を見ながら、重要客のチェック・インを受け入れ続けている。

(2006年12月8日掲載)

 


Photos by Urban Heritage Chronicle


遣米使節団一行がウィラード・ホテルを訪問した様子
1859年に米国の新聞で掲載されたもの。詳細は本文
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ウィラード・ホテルに飾られている議会図書館の資料
(ホテルの許可のもと掲載)
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