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下足番〜江戸の粋を守る仕事 | ||||
東京・根岸で江戸時代から300年以上続く料亭、「笹乃雪」の入口。店に向かってきた老夫婦が中に入ろうとに引戸に手を伸ばそうとすると、「いらっしゃいませ」の声と共に、中で客を待っていた男性達が戸を開けた。彼らは客を店内に招くと、「今日は生憎の天気ですね」と声をかけ、老夫婦の傘を預かり、脱いだ靴を棚にしまい、数字の書いた札を1枚、渡した。「お帰りの際に札をお出しください」と声をかけ、客が店内に消えると、また引戸の傍に戻った。この男性達は「下足番」と呼ばれる。以前は普通に見られた職業であるが、現在その姿を見かけることは、都内でも珍しい。 「今でも下足番がいる店は、もうそんなに存在しないでしょうね。東京でも数店ではないでしょうか。コストがかかりますから。でも、私どもの店では、下足番を大変重要なものと考えています」と、笹乃雪の第11代目当主、奥村氏は語る。現在でも、一部の料亭や居酒屋、和食レストランなどで靴を脱いで上がる店はある。しかし靴の整頓は、仲居が兼務しているか、アルバイトの役目である。「経費削減」と叫ばれる昨今、下足番を専属で置く笹乃雪は、時代に逆行しているとも思えてしまう。 「多くの方はそう思うでしょうね。でも、うちは江戸時代からずっと営業しており、江戸文化を伝えるのも重要な役目だと思っています。大きな広間で靴を脱いで店でゆっくりと食事をする。そして、帰り際に下足番が靴の世話をして、一言、二言会話して帰る、なんて粋じゃないですか」、と奥村氏は語る。 下足番が生まれた背景は、江戸時代の人々にとって、履物が非常に重要だったことがことがあるようだ。江戸時代、建築物は木造で、冬は乾燥したしたため、非常に火事が多かったそうである。その頻度は、江戸時代約260年間で大きな火事が90回以上と、相当であった。そのため、当時の人々は火事に備えて自分の資産を守る術を心得ていたという。商人は損害を最小限にするため建物を簡素にし、何かあったら直ぐに持ち出せるようにと、当時の履物である雪駄や草履、そして小物に金をかけたそうである。 上記のような理由で、江戸の人々は履物を財産として扱い、その金の掛け様は「江戸の履き倒れ」と呼ばれる程であった。奥村氏曰く、江戸時代の人々が履物にかけた金額は、現在の値段に直すと、イタリア製の有名高級メーカーの靴の何倍もしたそうである。従って、履物を脱いで上がる江戸の店では履物の管理に非常に気を使い、客が帰る際、高価な履物を紛失したり、他の客と取り間違えられたりすることがないよう、各店は「下足番」を置いた。 笹乃雪では、専属の下足番を4人雇っている。下足番の仕事は、単なる履物の管理だけでない。「下足番がいることで、店に入ってきたお客さんの様子を知ることができます。そして、お客様が店を出る際、満足そうな顔をしていたか、そうでないかも彼らが察します。もし不満そうな顔をしていたら、下足番がさりげなく声を掛けるのです。下足番は、お客様が最初に会う人であり、最後に会う人でもあります。つまり、お客様の満足度は下足番で決まってしまうのです」 客と最初に出会い、そして最後に見送るという意味では、ホテルのベルボーイと非常に似ている。そして下足番の給与体系は、昔はベルボーイと同様チップ制だった。欧米の高級ホテルにおけるベルボーイはチップでの収入が多くを占め、気が利く人気ベルボーイは高給取りであったと言う。「サービスの最前線という意味では、下足番も同じですよね。江戸時代の下足番は、チップだけで収入を賄っていたそうです。しかもかなり高給取りで、良い生活をしていたそうです。江戸時代の人は現代人のように野暮じゃない。気前が良かったんですよ」と、奥村氏は続ける。 下足番が生まれたもう一つの背景に、江戸っ子には悪戯者が多かったことがある、とも言われている。もともと江戸は地方から来た人の寄せ集め。従って少々客の程度がよろしくなく、食い逃げが多かったそうである。但し、彼らは「金が無い」という理由でなく、「悪戯」として食い逃げをした。何れにしろ店としては有難くない話である。その為、下足番が履物の管理を行い、お勘定が済んで札の色が変わった客に、履物を渡した。 そんな「下足番」という職業に求められる資質はいったい何だろうか?。奥村氏に尋ねると、「人生経験が豊富であること」が何よりも重要であるという。 「お客様がどのような状態か、一目見て感じ取らなければなりません。例えば、はじめて笹乃雪にいらっしゃるお客様が緊張している様子であれば、リラックスするように声をかけてあげます。そのためには様々な経験をしてきた、年配の方が良いですね。また、十分に遊んで来た方が理想です。飲む・打つ・買うなど、たっぷりと遊んで来た方が良いですね」 |
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Photos by Urban Heritage Chronicle
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ある平日の日中、午前11時に開店した笹乃雪では、ドアの内側に2人の下足番が立ち、客が来るのを待っていた。2人のうち、1人は下足番歴5年。もう1人は新人である。「ここに来る前は30年間、タクシー運転手をしていました。昔はお客様を赤坂、新橋、向島の料亭に送ると、下足番が出てきたものです。でも最近は本当に無くなりましたね」と新人は語る。 5年目のベテランは「大切なのは辛抱と仕事に対する情熱です。5年なんて、まだまだ。覚えることが沢山ありますよ。我々は店の出入口を任されています。お客様の印象は下足番で決まってしまう。はじめに印象が悪いと料理も美味しくないし、料理が美味しくても出るときに嫌な思いをすると2度と来ませんよね」 話していると、その日一番目の客が来た。ドア付近で外の様子を窺っていた下足番は直ぐにドアを開け、店内に案内。二言、三言声を掛けてから、靴と傘を預かり、札を渡した。「下足番の仕事は、お客様の応対だけではありません。近辺の工事の案内に業者が来た際も対応しますし、通行人がタバコを投げ捨てた際も拾いに行く。時には注意すらすることもあります」と、5年目のベテランは言う。 下足番が出迎える、粋な江戸文化を伝える店で、遊ぶ側が「粋」にであるための心得は何だろうか? 「時々、帰り際に下足番に心付けを渡す方がいらっしゃいます。そんなのを見ると、『粋だな』と思いますよ。楽しみ方を知っている。恰好が良いですよ。もちろん心付けを払う必要は無いのですが、このような方は遊び方を良く心得ていらっしゃいますよね。江戸の人はキップが良かった。野暮なことはしませんでしたよ」と、江戸時代から3世紀続く豆富料理店を守る奥村氏は、最後にアドバイスをくれた。 (2008年1月3日掲載) |
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