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  米国の中心、ウィラード・ホテルの100年後  
 

高校の英語の授業で、「ワシントンDCのDCは、Dangerous City(デンジャラス・シティー:危険な街)の略です」と先生が冗談を言った。これは、1960年・70年代のワシントンDCにとって、あながち冗談ではなく、むしろ皮肉とも取れる。実際に米国の首都は当時、人種差別などに起因する暴動により、大分荒廃したそうだ。その影響を受けた建物の1つが、古くからワシントンDCにある、通称「Willard Hotel(ウィラード・ホテル)」。米国の歴史を見続けてきた同ホテルは1968年、近辺の治安悪化から営業を中断。閉店は18年間にも及んだ。このホテルは日本人にも大変意義のあるホテルで、1860年に日米修好通商条約の批准書を交換するため渡米した遣米使節団一行が宿泊したホテルでもある。そんなウィラード・ホテルは2007年を「次の100年に向けた新たなスッテップ」と位置づけている。

19世紀の米国の小説家ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)は、「ウィラード・ホテルは世界の中心である。何故なら、ワシントンは米国の中心で、米国は世界の中心である。ウィラードはワシントンの中心だからである」と言った。オーナーも変わり、「ウィラード・インターコンチネンタル・ワシントン」となった現在のホテルの広報ディレクター、バーバラ・デビッド(Barbara Bahny David)女氏は、「ウィラードは米国の歴史を見続けてきました。日本からの外交官たちだけでなく、米国の歴代大統領や著名な政治家、俳優も皆このホテルに泊まります」とホテルを紹介する。

ウィラード・ホテルの長い歴史の中で、60年代と70年代は非常に重要な時代である。「あなたの高校の先生は正しかったと思います。確かに、その時期は民族暴動がひどく、米国や首都であるここ、ワシントンDCを揺さぶっていました」とデビッド氏は語った。

当時ワシントンは、アフリカ系アメリカ人による暴動の中心となっていた。不幸にもそれはウィラード・ホテルに非常に大きなダメージを与えた。

バーバラ氏によると、キング牧師(Dr. Martin Luther King, Jr.)は、1963年にこのホテルに宿泊中、有名な『I have a dream』で始まる演説の原稿の初稿を完成させた。ところが、残念ながらその後、暴動は激しくなる。治安の悪化により、ウィラード・ホテル周辺では全てのビジネスが停止した。その火の粉はウィラード・ホテルにも飛び、1968年7月15日、「将来が見えない」という理由で営業を停止した。

ウィラード・ホテルのはじまりは、1816年に買収された6軒の2階建ての家。そこは1818年に「Joshua Tennison's Hotel」として開業された。「ウィラード」の名前が付いたのは、1850年。ヘンリーとエドウィン・ウィラードの兄弟によって買収され、「Willard’s City Hotel」の名前でオープンしてから。その後ホテルは、代々の大統領や外交官、VIPなど、歴史を通じて様々な著名人をゲストに迎えることで、その名を知られるようになった。デビッド氏は「ロビイスト(lobbyist)という言葉はイギリスで生まれましたが、その言葉を広めたのは第18代米大統領のユリシーズ・シンプソン・グラントです。彼がこのホテルを舞台に色々と活動をしたのです」、と語る。

ウィラード・ホテルが受け入れた最初の重要な客は、日本の遣米使節団であった。1860年、遣米使節団一行は米国製の蒸気船ポーハタン(Powhatan)号に乗り、ホノルルを経由して太平洋を横断、サンフランシスコを経由してパナマ運河を通り東海岸に到着した。そしてニューヨーク、フィラデルフィアに滞在し、その後ワシントンDCに立ち寄った。ワシントンDCで宿泊したのはウィラードだった。

ワシントンDC在住の観光ガイドは日本人観光客に対して、「ウィラード・ホテルは勝海舟が1860年に宿泊した有名なホテルです」と紹介している。また、ガイドブックでそのように紹介しているものもある。だが、残念ながらそれは事実ではない。

 


Photos by Urban Heritage Chronicle


150年以上の歴史を持つウィラード・ホテルの正面。
現在の建物は20年前に改装されたもの。
同ホテルは国会とホワイトハウスを結ぶ
Pennsylvania Avenue通り沿いに立つ。


ウィラード・ホテルのロビー。
休館中には樹木が生えるほど荒廃した。


 
 

首都ワシントンDCにある議会図書館(Library of Congress)にある資料によると、外交団は、3人の大使、2人の皇族、12人の貴族、そして60人の従者の合計77人から構成されており、第1大使の新見備前神正興(First Ambassador Niimi Bizan-no-kami Masaoki)、第2大使の村垣淡路神(Second Ambassador Muragaki Awaji-no-kami)、江戸の副知事森田岡太郎(Vice Governor of Yeddo Okataro Morita)などが含まれていた。徳川幕府から米国に派遣された外交団の使命は、1860年に日米間で結ばれた、日米修好通商条約の批准書を交換することであった。

勝海舟が乗船したのはポーハタン号でない。彼は福沢諭吉と共に、咸臨丸で江戸とサンフランシスコ間をポーハタン号に先駆けて往復した。上記資料によると、咸臨丸は1860年2月10日に日本を出て、サンフランシスコに同年3月17日に到着。その後日本に引き返し、6月22日に帰国した。咸臨丸の使命はポーハタン号の護衛である。ポーハタン号は咸臨丸が日本を出た3日後に出発した。勝海舟は、日本で始めて太平洋を渡ったことになる。

日本からの外交団の滞在中、米国人は日本からの訪問者を好奇心の目で見ていたという。日本人の行動は絵に描かれ、議会図書館に今でも保管されている。米国人にとって始めてのものは全て検査され、質問され、説明を要求され、そして絵に描かれた。

日本外交団訪問の翌年、第16代米大統領に選ばれたエイブラハム・リンカーンが、就任前にウィラード・ホテルに滞在した。「ウィラード・ホテルは、新しい米大統領が就任後、最初に宿泊し、自分で代金を支払うホテルなのです」とデビッド氏は誇らしげに語る。独立戦争の期間、アブラハム・リンカーンはウィラード・ホテルに5人の家族と2週間滞在した。ホワイトハウスでなくここに宿泊したのは敵の暗殺から逃れる為。リンカーンが2週間で支払った額は、当時の貨幣で773ドル75セント(食事込み)である。

18年の閉店を経て、1986年、ホテルはウィラード・インターコンチネンタル・ワシントン(Willard InterContinental Washington)として再オープン。2006年には再オープン20周年を果たした。それを記念して、ホテルはヒストリー・ギャラリーを設置して、ウィラード・ホテルの歩みを写真などと共に展示している。「これらの写真は、ウィラード・ホテルがいかに米国の歴史と共に歩んできたかを示します」とデビッド氏は歩きながら説明した。そして、ある写真の前に立ち止まると再び話し始めた。「この写真は、1901年にフランスの女性が撮影したものです。これはウィラード・ホテルのオリジナルの姿です。再オープンに備えてリノベーションを進めたとき、この写真を頼りに建設を進めていました」

ウィラード・ホテルはその歴史の中で2つ大きなリノベーションを行っている。最初が1901年で、創業時のデザインを保ちつつ、フロアや客室を増やした。2回目がワシントンDC治安悪化後の再オープンの際であるが、これは困難を極めた。閉店の間にホテルの中は荒廃し、フロントには樹木まで立っていた。「しかし、そのフランス人女性が撮影した写真が救ってくれたのです。この写真なしでは、ウィラード・ホテルの再建築は不可能でした」とデビッド氏は語る。

ウィラードが米国の中心であったのは過去のことではない。ウィラードは依然としてその役割を果たしている。「少し前になりますが、クリントン前大統領、俳優のトム・クルーズ、そして映画監督のスティーブン・スピルバーグが、ダイニング・ルーム『Willard Room』でテーブルを共にし、葉巻を楽しみながら会話をしていました。こんなに有名な3人が集まる場所など、そんなにないでしょう」とデビッド氏は言う。

2006年に20周年の記念行事を終えたウィラード・ホテルは、2007年を次の100年間のスタートと定義している。「全て歴史を続けるために行っています。我々はこのホテルの歴史を守らなければなりません」。とデビッド氏。予測できない次の時代を乗り越えるために、ウィラード・ホテルでは3つのPを指針として設定した。1つ目はPeople(人)、これは社会的な責任を示す。2つ目はProfit (利益)、これは株主などに対して経済的に報いること。そして最後のPはPlanet(星)、これは環境を守ることを示す。クリーンな発電や温暖化対策、食料不足対策などを意味する。100年後の2107年、ウィラードにはどのような客がチェック・インするのであろうか?(2007年8月16日)

注1)所有者や時代によりホテルの名前に多少の変更があるが、本記事では「ウィラード・ホテル」とする。

(2006年11月30日掲載)

 
     
 
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