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Far East Network〜FENの思い出 この記事は2005年9月10日にデイリーヨミウリ紙に掲載された英文記事に翻訳・加筆したものを、同紙の許可のもと掲載しています。原文はこちらをご覧下さい。 |
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日曜日の朝、AMラジオの周波数を810kHzに合わせる。流れてくる良く選曲された心地よいスムース・ジャズは、心も体もリラックスさせてくれる。もし、初めてこの洗練されたプログラムを聞くのであれば、これが米軍がスポンサーする放送局からのものだとは気づかないだろう。そして暫くすると、「This is Armed Force Network」のアナウンスが流れてくる。以前この周波数にダイアルを合わせた人は少々戸惑うかもしれない。 当時、FEN(Far East Network)といえば、日本で放送されている唯一の英語放送局で、本格的に英語を学びたい日本人は、必ずダイアルを合わせていた。「FEN」というコールサインに思い入れのある日本人は多く、内容は同じといえ、新しい名称であるAFN(Armed Force Network)は、少々寂しさを感じているかもしれない。 開局以来の60年間で、数度局名は変更になっているが、AFNの役割は、開局時の第2次世界大戦直後から変わっていない。「我々の第一の目的は、日本に駐留している米国人兵士とその家族に、英語でニュースや日本に関する情報を伝えることです。そして2番目として、兵士以外の米国人や外国人日本人に情報を提供することです」と、AFNの局長である、キース・レブリング氏は語る。 AFNは、東京都福生市にある横田空軍基地の西側に存在する。5人のDJを含め、約60人が勤務している。殆どのDJは放送業界での経験を持たずにAFNのDJとなり、ここで初めてトレーニングを受けるそうだ。彼らはあくまでも軍人であり、マイクに向かっている最中でも軍のユニフォームを着用している。 AFN東京は、スポーツ、音楽、ドラマ、ヒットチャートやニュースなど様々なプログラムを流している。「最も人気のあるプログラムは、恐らく『Eagle 810』という朝のプログラムだと思います。多くの人はこのプログラムを通勤中の車内や家で、朝一番の情報を得るために聞いています。日本で唯一の朝の英語ニュース番組なので、非常に人気があります」とレブリング氏は語る。 AFNの歴史は第2次世界大戦に遡る。米陸軍と海軍の支援を受け、AFRS(Armed Forced Radio Service)が誕生し、アラスカのKodiak島から放送を開始したのが1942年。太平洋の戦線が前進するにつれ、AFRSはギルバート諸島、マーシャル諸島、ソロモン諸島に支局を置き、それらの前線地に駐留する兵士に向けてラジオ放送を行った。 AFRSが沖縄に支局を設けたのは1945年の7月。その時点で支局の数は18に増え、名前も「Far East Network」と変更された。東京局が開局したのは、東京湾に停泊していた米戦艦ミズーリ号上で、正式な降伏セレモニーが行われた10日後の1945年9月12日。NHK局舎からの放送開始だった。 1947年には、AFRSは日本、韓国、フィリピン、そして太平洋上の様々な島に放送局を持っていた。日本では東京、小倉、熊本、大分、沖縄、大阪、そしれ札幌の7箇所から放送していた。AFRSは正式には「AFRSのFar East Network(極東向け放送)」と認識され、キー局の東京局から各地に対してプログラムが提供された。50年後の1997年、組織変更により、FEN東京は「American Forces Network Tokyo」となり、現在正式には、空軍ニュース局第10班(detachment)に所属している。 戦時中、軍は、兵士の士気を保つことに、非常に苦労を強いられた。AFRSのミッションはこの問題を解決することで、プログラムではエンターテイメントや母国のニュースを兵士に提供した。もう1つの重要な役割として、太平洋に残っている日本兵士に対して降伏するように説得し、死者数を最小限にすることがあった。このため、AFRSは日本語のプログラムを準備し、日本語の歌と共に放送した。 |
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Photos by Wataru Doi
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戦後のFENの役割は、日本に駐留する米軍兵士のモラルを高めることにあり、必要な情報やエンターテイメント番組を流した。またFENは米兵士だけでなく、軍所属以外の英語を話す人々や、一般の日本人も対象とした。当時、FENが唯一の英語局であったため、多くの日本人がFENから英語を勉強した。 上智大学外国語学部英語学科助教授の東郷公徳氏もFENで英語を学んだ一人。「海外に行ったことが全く無かったので、英会話を勉強するにはFENしかありませんでした。ニュースやドラマをテープに録音して、繰り返し聞きました」と回想する。「今でも車を運転するときは、耳を英語に鳴らすためにFENを聞くことが良くあります」 「今の生徒は幸せですよね。CNNやBBC、その他多くの英語番組が、日本でも簡単に見ることができます。インターネットでラジオを聴くこともできますし。私が学生の頃は、FEN以外の選択肢はありませんでした。おそらく、私の世代がFENで英語を勉強した最後の世代ではないでしょうか」 アメリカの音楽を聞ける数少ない媒体としても、FENは重要な役割を果たした。1950、60年代は、アメリカのレコードや音楽テープはそう簡単には入手できず、日本人にとってFENは、アメリカの音楽を聞くのに最も簡単な手段だった。「当時日本人にとって、FENはアメリカ文化の窓口でした。多くのカントリー、ジャズ、ハワイアン・ミュージシャンがFENをきっかけにしています」と、アメリカの33の州で名誉市民となっている著名カントリー・ミュージシャンのチャーリー永谷氏は語る。 永谷氏が生まれ育った熊本県にはキャンプ・ウッドがあり、そこから流れるFENを聞いて育った。1950年代のことである。「若い頃は英語とアメリカ音楽に憧れ、いつもFENを聞いていました。ミュージシャンになった後はFENから音楽を勉強しました。ラジオで聞くカントリー音楽の歌詞を書き取り、覚えたものです。理解できない文章や言い回しは、キャンプの兵士に聞くのです。すると彼らはとても快く教えてくれました」と若い頃を思い出す。 かつて、ラジオは情報を広域に提供するのに最も適した手段であった。ところが、技術の進歩により、ラジオの優位性が減りつつある。インターネットは地球の裏側から瞬時にニュースを届け、衛星はCNNはBBCを世界中どこにでも届ける。 AFN東京などのラジオ局にとって、風向きはあまりよくないかもしれない。特定の人だけを対象にできる商業放送と違って、AFN東京は、老若男女幅広いリスナー層を対象としなければならない。「プログラムにはバランスを取ることを重視しています。我々にとってのチャレンジは、810Khz1つの周波数で、全ての人を満足させなければならないことです。従って、AFN東京がプログラムを大幅に変更することはできないのです」とレブリング氏は語る。 技術の進歩は、AFNにとって向かい風であるばかりではない。レブリング氏によると、AFNでは衛星を活用して母国からプログラムを取り寄せたり、最新鋭のIT技術を活用して、オリジナルのプログラムを作成していると言う。 そしてAFNが他局と違う点に、そのプログラムのクオリティの高さがある。PR会社「プラップ」のCOOであり、NHKの人気ラジオ英語教育番組「ビジネス英会話」の講師を務める杉田敏氏は、AFNのプログラムの品質の高さは、日本ラジオ局には真似ができないと言う。 「例えば、FENがクリスマス時期に特別番組を流します。私の子供が小学生低学年の頃、そのプログラムを聞いていました。大体私が始めてFENを聞いた年齢を同じくらいの歳だったでしょうか。そのプログラムは北極からトナカイが来ることを中継する擬似プログラムでした。プログラムを日本語に訳して子供に聞かせると大喜びでしたよ」 メディアのエキスパートである杉田氏は、AFNのプログラム開発能力を高く評価している。「インタビューは時間通りに終了する。ドラマはインテリジェンスに溢れている。エンターテイメントはウィットが効いている。私のラジオ英語講座でも、一部使わせていただいたことがあります」 英語を勉強している者にとり、AFN東京を聞くことは、テレビやインターネットにはない、別の利点がある。英語教育のプロとしての顔も持つ杉田氏は、「ラジオを聴くとき、音に集中できる。これはリスニング能力を大幅に向上させます。テレビだと映像に頼り、単語、文章、発音に集中できません」 AFN東京は来週、開局60周年を迎える。同局には多くの解決しなければならない課題がある一方、ラジオ放送のメリットを生かして、より多くのリスナーを喜ばせることは不可能ではない。最大のメリットは、受信機が小さく、どこでも持ち運び、どこでも好きな時に聞くことができることである。 AFNの局舎には、まだ「FEN」の文字が残っている。レブリング氏によると、お金が掛かるので取らないだけだという。だが、この文字が残る限り、FENが残した功績は誰も忘れないであろう。 *文中の組織名や役職名は掲載当時のものです (2005年9月10日掲載) |
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