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  函館〜古きを温め、新しきを知る
歴史的な建物が新しいビルに建て替えられる傾向が強い中、函館では歴史的建造物の再利用が進んでいる。

この記事は2005年12月24日にデイリーヨミウリ紙に掲載された英文記事に翻訳・加筆したものを、同紙の許可のもと掲載しています。原文はこちらをご覧下さい
 
 

「私はこの街に生まれて本当にラッキーです。この街は、歴史的価値のある古い建物をとても大切にしているのです」と、北海道函館市大手町にある喫茶店「Tu Prends Du the(テュ・プランド・テュ・テ)」のオーナーである阿部 基子氏は語る。

この喫茶店がある「大手町ハウス」と呼ばれる建物は、あるセメント会社の函館支店として1918年に建設されたもので、阿部氏は当時の建物構造などを残し、なるべく昔のままで利用している。函館にはこのような建物が多くある。

大手町ハウスは1954年、セメント会社から旧北海道漁業公社に引き継がれる。1988年に同公社が破綻してからは、誰にも使用されていなかった。阿部氏が最初にこの建物に出会ったのは、1996年だった。

「私がこの建物を手に入れる7年前に、ここで映画の撮影がありました。火事の撮影だったのですが、私は野次馬として見ていました。そのとき初めてこのビルを見て、一目惚れしました。建物の天井の高さやバランスが素晴しかった。それから、毎日7年間、1日も欠かさず7年間ここに通って、何とか購入する手段がないか探ってみました。ところが、この物件は競売物件で債権者が多く、前のオーナーから入手は難しいと言われていました」

阿部はあきらめず、この建物が崩れるまで毎日見に来ようと決意。しばらく経つと整理回収機構が入ることになり、購入のチャンスが回ってきた。

「実は、同じような経験を高校のときにもしています。私は函館遺愛学院を卒業していますが、これも建物が好きでこの学校にはいりました。その後にアルバイトもしていますが、その際も、建物が基準で働いていました。函館は居心地がよい町です。自慢の大好きな街なのです」

一方東京に目を向けて見ると、残念ながら古い建物は歓迎されない傾向にあるようだ。2003年には、皇后の実家である品川の旧正田邸が解体された。1923年に建設された、歴史的にも建築的にも価値があると言われた旧丸ビルは、高層ビルに生まれ変わった。大手企業からは、古いビルを解体して新本社を建設することになった、という発表が相次ぐ。

「そのような状況を聞くのは非常に悲しいですね」と阿部氏は嘆く。阿部氏のカフェは函館の大手町。ところが、東京の大手町とは文化が全く違う。函館は古い建物を大切にし、市民は歴史や遺産に価値を見出す。

函館では比較的早い時期から、企業などによる歴史的建造物の再利用が始まっていた。その先駆けともいえるのが、豊川町にある旧郵便局を1961年にある企業が倉庫として利用し始めた例がある。当初は単に建物を「使っている」だけであったが、今日ではその建物は「明治館」の名前で生まれ変わっており、ガラスやオルゴールなどを販売する土産物屋になっている。この明治館は函館観光の見所の一つになっている。

もう1つの例は、西洋の町並みを思わせる地域、元町にある、ホテル・ニュー・ハコダテである。この建造物は1932年に当時の安田銀行(現みずほ銀行)の函館支店として建設された。

「現在のオーナーが2年前ホテルを買い取りました。以前のオーナーも1968年にこのビルを引き継いで以来、ホテルとして使っていました」と語るのは、このホテルのコンシェルジェをしている富谷氏。

歴史的な港町でアンティークのホテルを経営すると言うと、スタイリッシュなイメージがあるが、古い建物を維持するには苦労が耐えないようだ。

「古い建物を扱うのは困難以外の何物でもありません。壁は崩れ、水道管は錆ついています。このホテルでは、ビルが建設された当時に埋められた鉄の水道管をまだ使用しているのです。水を錆から守るだけでもそれは大変な労力です。雨漏りもあります」。富谷氏はさらに続ける「でもこれらの問題を抱えていたとしても、このホテルを運営できることは、幸せ以外の何物でもありません。この建物が醸し出す歴史感がとても好きなのです」と語る。

富谷氏によると、利用客は建物がもつ雰囲気でこのホテルを選ぶという。ときには外国からの旅行者も多く、特に英国人はこの建物を非常に褒めていくということである。

函館は日本の国際化が始まった街でもある。アメリカのペリー提督が1853年に来日し、開国を要求した際、当時の政府は2都市を世界への玄関口に選んだ。その1つが函館である。それ以来、函館には外国人が出入りし、彼らは函館の建造物に大きな影響を残した。

 


Photos by Wataru Doi


函館の元町地区にある「ホテル・ニュー・ハコダテ」元々は1932年に建設された旧安田銀行の函館支店だった。


金森赤レンガ倉庫群は1887年に建設された。現在の建物は1907年の大火の後に再建設されたもの。ショッピング
モ ールやレストランとして利用されている。


1932年に撮影された大手町ハウス。
Tu Prends Du the提供。


 
 

「函館の建造物で最も特徴的なのは、西洋と日本のスタイルが融合したことです」と説明するのは、北海道大学大学院工学研究科の角幸博教。「1階は日本的にデザインされ、2階より上は西洋的なデザインが施されている。このスタイルが、函館のユニークな雰囲気を作り出しており、街全体の景観を非常に美しくしています」

角教授によると、この独特のアーキテクチャは、1907年の大火後、建造物を再建築する際に広まったという。港町では西洋文化が他の都市より早く浸透する傾向にあるが、他の港町と比較した函館のもうひつとの特徴は、企業や政府機関だけでなく、個人の家にもこのアーキテクチャが取り込まれていることである。そして、函館市民はこの古い建物を必死で守ろうとしている。

「函館では、市民が先頭を切って歴史的遺産を守ろうとしている。そして、役人がそれに続いているのです」と角教授。

行政でその役割を担っているのが、函館市教育委員会生涯学習部文化財課である。「通常、市は観光客を増やすだけの目的で古い建造物を保存します。我々の場合は、街の文化資産を守り、次の世代に残すことを目的として活動しています。結果的に観光業に貢献していますが、それはあくまでも2次的なものです」と、同課は語る。

同課がもつ重要な役割の1つに、経済的もしくは他の理由でオーナーが手放さざるを得なくなった古い建物に対し、新しいオーナーを見つけることがある。つまり、古いオーナーと新しいオーナーの橋渡役を担っている。同部署では情報をインターネットや公報などで開示し、新しいオーナーを募っている。「このサービスを開始して以来、問い合わせが5,6件ありました。いくつかは実際に新しいオーナーが見つかっていますよ」と、同課。

この部署ではまた、国が定めた「文化財保護法(注1)」にのっとり、歴史的に重要な建造物を「伝統的建造物(注2)」として指定している。現在76の建物、門、家などが登録されている。その殆どは元町エリアにあり、明治から対象、昭和初期、おおよそ1850年から1920年の間に立てられたものである。

函館市は元町地区の歴史的景観を守ることを重視している。「街の西部には美しい歴史遺産が多くあり、この地域の景観は本当に素晴しい。
函館市ではまた、都市景観形成地域(注3)というのを指定しています。これは、特に歴史的建物が集中している伝統建設地域です。都市景観形成地域には46件の函館市が定めた景観形成指定建築物(注4)があります」と、同課。

古い建物に対するサポートは、函館市役所全体で行っている。建設部では、古い建物を所有するオーナーに対し、財務的なサポートも与えている。63年に指定した西部地区の指定建築物47件に関しては、上限600万円の範囲で外観の修繕費用の80%まにで補助金を出す。また街全体の景観を守るため、汚い看板や夜の街に光輝くネオンサインを出すことは禁止されている。看板広告などを出す人は事前に市に相談しなければならない。前述のホテル・ニュー・ハコダテの富谷氏は「この規則により街全体のトーンが統一され、ハーモニーを感じる」と言う。

バブル経済の真っ只中には、多くの高層マンションが建設され、函館の歴史的な街並みに影響を与えた。この危機に対応して、1989年に市は新しい規則を制定、高さ10メートルを越える建物の建設を禁止した。

角教授によると、例え綺麗で歴史的な価値があったとしても、古いという理由で価値ある建物が壊され、経済的に効果的な大きなビルが建設される傾向は、東京だけでなく、他の都市でも見られるという。角教授はかつて、札幌にある歴史的価値の高い一軒屋を壊してマンションを建設するという計画に対し反対し、建設会社に一軒やとマンションの共存を提案した。ところが、建設会社は結局その一軒家を壊してしまった。

「函館でも全てが上手く行っているわけではありません」角教授は続ける「しかし、日本の他の街と比較すると、古い建築物は良く守られ、新しい建築物と共存していると思います。最も大切なのは、市民の情熱がとても強いことです。個人や民間団体が街の景観を保存することに熱意を持っている」。角教授自身も函館建築物調査団体の代表を務める。

現在、函館市は、元町にある2つの建設物の新しいオーナーを探している。一つは1921年に建設されたもの。そしてもう一つは1911年に建設されたもの。双方とも伝統的建造物として登録されている。(注5)

前者は2003年から、後者は2005年夏から以来、新しいオーナーを探している。「問い合わせはあります。でも、条件が折り合いません。お金の問題ですね」と市は語る。

元町のカフェに戻ると、阿部氏はコーヒーを注ぎながら語った。「私が通っていた頃は債権者が多くて望みが薄かった。でも、少しでの可能性に掛けました。例え手に入らなくても、建物が壊されるまでずっと通おうと思っていました」。ところがある日、建物は整理回収機構の下に置かれ、阿部氏にもチャンスが回ってきた。

「そしてビルを手に入れたのです。建設会社に勤める父にリフォームの相談をしました。最初外観を見たとき、父は『不可能』といいました。でも建物の中に父を入れると、『これは保存しなければならない』と言ったのです」

リフォーム後2003年にカフェとしてオープン。「なるべく多くの人にこの建築を楽しんで欲しい。カフェにしたのもそれが理由です。コーヒー代数百円でこの建築物を見ていただけるのです」

80年前セメント会社の会計士はビルの中の机に座り、緑茶を啜りながら経理の仕事を続けていたであろう。40年前には漁民は大漁を祝い、乾杯をしたかもしれない。今はここでコーヒーが楽しめるが、この歴史を数百円で楽しめる函館市民は、他の都市に住む人間にとって、なんとも羨ましい。

Urban Heritage Chronicle編集部注

注1:文化財の保存・活用を通じ、国民の文化的向上と世界文化の進歩を目的とする法律。1950年に制定された。前年に起こった奈良・法隆寺における火災がきっかけ。
注2:函館市教育委員会では,明治・大正・昭和初期に形成された西部地区の歴史的町並みの一部を,函館市都市景観条例に基づき,「伝統的建造物群保存地区」に指定しており,この地区内の76件の歴史的建築物を「伝統的建造物」として決定している。
注3:函館市都市景観条例に基づいて設定された、景観形成上特に重要な地域。西部元町地区が含まれる。
注4:都市景観形成地域内において,都市景観の形成上重要な価値があると認められる建築物を所有者等の同意を得て景観形成指定建築物の指定をし,市民と共にその保全を図る
注5:本記事掲載時の情報。最新情報は確認要。

(2005年12月24日掲載)

 
     
 
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