| ||||
アート・音楽・文学〜芸術家の天国、100周年を迎えたホテル・チェルシー *この記事は2005年3月19日にデイリーヨミウリ紙に掲載された英文記事に翻訳・加筆したものを、同紙の許可のもと掲載しています。原文はこちらをご覧下さい。 |
||||
ニューヨークのマンハッタンにあるホテル・チェルシー。芸術や文学好なら、一度は滞在してみたい場所だ。アーサー・ミラーが宿泊し作品を書き、マーク・トウェインが訪れ、文学者のアーノルド・ウァインシュタインが30年間住んだ。芸術家のジム・ダインやラリー・リバースらもこのホテルを訪れた。 多くのミュージシャンもこのホテルを訪れている。中でも有名なのは、パンク・バンド、セックス・ピストルズのベース、シド・ヴィシャス。彼がガールフレンドのナンシーを刺殺したのは、このホテル。シドはチェルシー・ホテルの100号室で、ロック史上最も血生臭い事件の一つを起こした。 理由はともあれ、ホテル・チェルシーへの滞在は、今迄経験したことが無い体験になることは間違いない。2005年に100周年を迎えたホテルは、その歴史の中で、数多くの芸術家、小説家、音楽家などを迎えてきた。このホテルにチェック・インすることは、例え数日であっても、彼らと体験を共有することを意味する。 ホテル・チェルシーは、マンハッタンの23th Street (23番街)沿い、7th Avenueと8th Avenueの間 にある。1884年に建設されたが、当初は共同アパートとして使われていた。現在のホテル・チェルシーとなったのは1905年のことである。 「私の父が1940年にホテル・チェルシーを引き継いだのです」と語るのは、現在のこのホテルのマネージング・ディレクターを勤める、スタンレー・バード氏。「父が1957年にリタイアし、私にマネジメントを教えてくれました。それ以来、約50年に渡り私がこのホテルを管理しています」 ホテル・チェルシーの館内はアートで埋められており、その伝説を補完している。例えば、ロビーの壁面やフロント・デスク、階段の壁には絵画で埋められており、ロビーの天井からは奇妙なオブジェが吊るされている。筆者の滞在した9階には、エキセントリックな赤と黄色の絵画が壁に掛かっていた。バード氏によると、それは日本の芸術家による作品とのことである。 「私は芸術を愛しています。このホテルにある作品のいくつかは、有名なアーティストによる作品です。私の友人が推薦して置いているものもあります。また、現在このホテルに住んでいるアーティストによる作品もあります」とバード氏は説明する。 ホテル・チェルシーに宿泊するにあたり、必ずしも有名人である必要は無い。有名なライターのO・ヘンリーは、毎晩別の名前でこのホテルに宿泊していた。だが、確かに多くの有名人がこのホテルを訪れる。ミュージシャンだと、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ジミー・ヘンドリックス、そしてジョン・ボン・ジョビなどがここに泊まった。「シド・ヴィシャスがここに泊まった理由は、ボブ・ディランが宿泊していたからなのです。シドは彼に合いたかったのです。シドの彼女は自殺したかった。それで、シドが手伝ったのです。まったくひどい事件でした」とバード氏は回想する。 しかし、例え名前や歴史があるホテルであっても、次々と魅力的なホテルが建つニューヨークで生き残るのは容易ではない。セントラルパーク沿いに立つ、かの有名なプラザ・ホテルでさえも閉館の危機にさらされている(注1)。ホテル・チェルシーが100年間、芸術家や旅行者を惹き続けてきたのは驚くべきことである。 「アーティストはこの場所で本当に自由になり、自分のままで過ごすことができます。それが理由だと思います。自分以外の人になりすます必要がないのです。ホテル・チェルシーは、アーチストが自分らしく生きる権利を与えているのです。それは魂の自由だと思います」と語るのは、写真集「Spirits and Ghosts」をはじめ、受賞暦もある写真家Julia Calfee (ジュリア・カルフィー)。彼女は2004年11月からこのホテルの角のスイート・ルームに住んでいる。 カルフィーは、あるイスラエル人の画家を思い出して語った。彼はこのホテルに滞在したかったが、300ドルしか所持金がなかった。「スタンレー(バード)は彼を3ヶ月宿泊させました。しかし、画家は結局2年間ここに住んだのです。その後画家は有名になり、払っていなかった滞在費用を結局全て支払いました」 |
|
Photos by Wataru Doi
|
||
その画家はまだこのホテルに住んでいる。そして、彼の子供も、孫もこのホテルの住人だ。「これが典型的なスタンレーのやり方です。彼は芸術のサポーターなのです。ある意味で、彼はアーチストの可能性を作っているですの。ここには、一つの屋根の下にアーチストが集まっている。アーチストの人口密度は相当高いですね」とカルフィーは語る。 カルフィーによると、彼女の部屋はかつて小説家トーマス・ウルフが生活し、原稿を書いていた部屋である。ホテル・チェルシーの客は、70パーセントが住民であり、その殆どが芸術家である。 「昨年、スタンレーに、ここの住人の写真集を作ることを提案しました。すると、彼はこの部屋を選び、私にここに滞在するよう提案したのです。最初、この部屋はちょっと古いかと思いましたが、住み続けているうちに、この部屋の素晴しさに気づきました。この雰囲気が私をクリエイティブにしてくれます。日の出と日没がとても綺麗なのです」とカルフィーは言う。 勿論、チェルシー・ホテルは旅行者も大歓迎である。「チェルシー・ホテルは芸術家に好まれるようですが、普通の旅行客がきても、十分雰囲気を楽しんでもらえると思います。チェルシー・ホテルは世界中の旅行者から愛されているのです」とバード氏は語る。 滞在者の中には日本からの旅行客もいる。昨年は日本の作家も宿泊した。日本のある著名なミュージシャンは「このホテルに泊まるのが夢だった。まさに、レオナルド・コーヘン(カナダのミュージシャン)の世界だった」と言っている。 このホテルの部屋は1つ1つ全て違う造りをしており、特徴がある。フロントで働く従業員は言う。「ここには400の部屋があります。そして全ての部屋に歴史があるのです。チェルシー・ホテルはマンハッタンでも、ニューヨークでも、米国でもなく、世界のランドマークです」と自慢する。 残念ながら、シド・ヴィシャスが事件を起こした部屋はもう存在しない。「彼は100号室でガールフレンドを殺しましたが、その部屋はリノベーションしてしまいました。残念ながら当時私は中学生だったので、その事件のときにこのホテルには居ませんでした。ただ、新聞でその事件のことは知っています」と従業員は回想する。 今日、バード氏は息子と共にこのホテルを経営している。そして、「次の100年経った際も、孫、そして曾孫が経営していれば、とても嬉しいですね。生き残るには、歴史、芸術、そして滞在する人々を大切にすることが重要です。クリエーティブな人々は、ここをとても快適な場所だと思っています。このホテルに滞在した作家や芸術家は単なる伝説でなく、生きた伝説なのです」 バード氏の経営哲学は差別化をはっきりすることである。「他と同じではダメです。このホテルを経営するにあたり、一番重要なのは、他の何からも独立していることです。独立が差別化となるのです。このホテルが他人に買収されることは絶対にあってはなりません」 (2005年3月19日掲載) |
||||
Copyright: Urban Heritage Chronicle. All Rights Reserved. |
||||
Copyright 2023 Urban Heritage Chronicle LLC. All rights reserved. 著作権、本サイトへのリンク、個人情報保護について |